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病気

「一番大切なもの」

  • makotokoma
  • 2007-02-14

私は数年前まで営業の仕事をしていました。
東京から福島まで、毎日社用車に乗って納品および売り込みに通いました。
朝7時には首都高に入り、常磐自動車道を飛ばして福島まで一気に走ります。
常磐自動車道を降りた後は一般国道を使ってお客さんを回りながら東京方面に向かいます。
多い日で700キロ、平均しても毎日500キロは走ったでしょうか。

車の運転は好きでした。
しかも社用車は私が個人的に好きなHONDAシビックのマニュアル車。
毎日の長距離運転もそれ程苦には感じませんでした。

しかしカラダが悲鳴を上げ始めたのは福島を担当し始めてから5年が過ぎたころです。
朝起きた時に腰から足にかけて鈍い痛みと痺れを感じるようになったのです。
それでも「寝返りでどこかにぶつけたかな」程度で軽く考え、病院に行くことも、深刻に考える事もありませんでした。

そんな感覚と前後して、快適だった社用車(シビック)の運転にも苦痛を感じ始めました。
シビックのクラッチが異常に重いのです。
もともとクラッチの重さは気になっていたのですが、車検時にも「こんなもの」と言われた事もあり、そのまま乗っていました。
これがいけなかったようです。
重たいクラッチが腰に負担をかけていたようです。
しかも私が車を運転する時の姿勢は酷い猫背。
悪条件が整い、いよいよ私の腰は悲鳴をあげ、そしてある朝プツリと歩けなくなってしまったのです。
その日は大事な打合せが予定されていた日。
私の営業歴の中で、過去最高の大口注文が決まるかどうかのとても大事な日でした。

今日行かなければ大口の受注を逃す。
会社の同僚や先輩に代わりに打合せに行くのを頼むのはシャクだ。手柄を横取りされる。

様々な思いが交錯するも、無常にも布団からカラダを起こすことができません。
家族にも説得され、仕事はひとつ下の後輩に。
無念の思いで病院に運ばれると即、入院。
あっという間に手術までの日程も決まりました。
結構深刻な状態まで進んでいたようです。

手術を挟んで約2ヶ月の入院生活。
入院当初はひっきりなしに訪れてきた会社関係の面会者。
しかし1ヶ月も立てば知らん顔です。
気にしていた大口案件は無事に決まったようですが、表彰されたのは私の上司でした。
自分なりに体をこわしてまで尽くしてきた会社の冷たさに悔し涙が流れました。
そして気づきました。
時間が経過しても見舞いに来てくれるのは家族、そして地元の友人たち。
週末になるとみんなで誘い合ってバカを言いに来てくれる。
これまで家族や友人との関係・約束を犠牲にしてまで仕事に打ち込んでいた事に申し訳なさを感じました。
仕事が忙しいからと約束を破ることがかっこいいとさえ思っていたこともありました。
自分は「デキル営業マンなんだ」と自慢しているようで・・・。

退院後、私は同じ会社の資材部門に異動になりました。
以前の私なら「左遷」と捉え、酷くプライドを傷つけられていたでしょう。
しかし入院中に「大切な事」に気づいた私は自分でも意外なほど、この現実を素直に受け入れることができました。

職種が何であれ、自分なりに精一杯仕事することが「できる会社人」であること。
そして自分の事を考えてくれるのは会社ではなく、家族そして友人である事・・・。
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